素敵でデンジャラスな志村けんとゆかいな仲間たちの情報を公開!
さぁ皆さんもご一緒に志村けんのゆかいな仲間になりませんか〜?
もともといかりや長介の弟子(と一方的に決め付けていたらしいが…)
であった志村は、ドリフターズにボーヤとして入る。その後何度も脱走を試みたり、
「マック・ボンボン」を結成して、テレビに出るがことごとく失敗する。
昭和49年に荒井注のドリフ退団でドリフの一員になるも、最初は芽が開かずに苦労の連続。
昭和51年3月の「8時だよ!全員集合」新潟公演の時、東村山音頭が大ブレイク。
芸能人を夢見ていかりや長介に弟子入りして10年、
ようやく苦労に報われたこの時から志村の才能が開花し、芸能人生がスタートしたと言える。
「8時だよ」が解散し、その後メンバーが個人活動時代に入ったときでも
「志村けんのだぃじょうぶだぁ」などドリフコントを継承した唯一の人物である。
志村のコントを見れば「8時だよ」、「ドリフ」のコントの雰囲気が味わえる。
これが志村けん芸能界の王者的存在にまでさせたのではないか。